オブサン古墳
山鹿市鍋田。
国指定史跡。
六世紀末ごろから七世紀初頭の築造。
直径22メートル、高さ5メートルの円墳。
U字型の周濠が確認されている。
南に移行する横穴式石室。
石室は全室と皇室の二つに分かれており
石室の奥に石屋形があったとされているが破壊されている。
文様が残っていたため、装飾古墳であるとされている。
室長さ2.1メートル、幅2.7メートル、
後室長さ2.8メートル、幅2.8メートル。
羨道長さ2.6メートル、幅2メートル。
オブサン古墳最大の特徴として、前庭部といわれる場所に突堤と呼ばれる突き出した部分がある。
8メートル、幅4.5メートル、
突堤長さ5.5メートル。
出土品は玉類や金環、武具、馬具、須恵器など。当初は一族の追葬をされていたようだが
出土品の土師器などより平安時代末期ごろ、前室を利用して埋葬が再び始まっていることがわかる。
江戸中期、畑地造成が始まるが、女性がお産するその形に似ていることから安産の信仰の象徴となり
完全に破壊されることなく残った。
玄室に多数の銅銭が出土していることからそれがうかがえる。
明治になると西南戦争で政府軍の陣地として利用される。
銃弾の跡が残る
大量の石材が運び出されたり防護壁などが作られ古墳の破壊が進む。
昭和に入り、風土記の丘の事業により復元され今の状態になる。
~編集後記~
憧れの熊本装飾古墳巡り!!
ようやく念願かなって行きましたが
実は行く前日に熊本に地震が。
とりあえず、宿からの連絡もないし
行くことにしました。
震源に近いところはまさにこのオブサンチブサンのあたり。
ボランティアでガイドもお願いしていたのですが
そちらからも連絡がなかったので
こちらも約束通り、ボランティアさんも約束のお時間に来てくださいました。
意外にも地震の話はなく、
オブサンの石室が少しずれたんです、この間の大地震でという話のみでした。
前日に起こった地震より
そちらの地震のほうがやはり大きな影響があったのだなと実感しました。
街並みも特に目立った被害もなさそうで
お店も宿も普通に営業されていました。
変にキャンセルしていかないほうが復興に遠のくと聞いたことがあるので行ってよかったです。
最初にチブサンを見学してからオブサンヘ。
あの形を見た瞬間、おおお~~と感激!
きれいな芝ーーー
たくさんの古墳を見てきた娘たちも思わず
「かわいいなぁ!」と。
ホンマこんなにかわいい古墳初めてです(笑)
写真ではわかりにくいですが
西南戦争の銃弾の跡もあったりと本当に歴史にたびたび登場してくる古墳です。
今回の旅行で初めてガイドさんをお願いしたのですが
本当にいろいろ教えてくださって頭の下がる思いでした。
(2019年1月訪)(2019年6月記)